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3.社会人時代

■○○○○○研究所
 職人の家で育った私は、サラリーマンと言うのはどういった感じが全く分かりませんでした。テレビで見るような、上司にペコペコしてるのが普通かな?などと思っていました。
 実際にも上司には逆らわずに仕事をしていました。
 上司にはそれが気に入らなかったのでしょうね。
 自分の意見が言えない(言わない)と注意を受けたこともありました。
 また、文書を作成するのも苦手でしたので、報告書などは、加除書きでしたから、嫌われていたでしょうね。
 要領も悪かったので、残業も200時間近くしていました。
 そして、疲れて3年弱で辞めました。

■ちょっと充電
 前社が残業が多かったので、自動車免許を取る時間が無かったので、合宿で普通車と自動二輪を同時にとりました。1ヶ月弱で卒業し、試験場の試験も1回で合格しました。

■○○○ティ
 1ヶ月の休みの後に、この会社に就職しました。
 それは前社でちょっと仲の良かった部長(別の部署)が数ヶ月前に退社されているので相談したところ、「私の会社に来いよ」のひとことで、この会社を紹介されました。
 この会社でも人間関係で若干問題がありましたが、同じ職場の人とは相性が良くまた、夜勤があったので残業代が沢山付きかなりリッチになりました。
 この感じ働ければずっといてもいいと思っていました。
 しかし、ある日、倒産してしまいました。
 サラリーマンとして、続けられる自身が出来た時の倒産でしたので、かなりのショックでした。

■長期の失業
 倒産(会社理由)の場合は、失業保険がすぐに支給されます。
 失業というショックもありましたが、退職金もでなかったので失業保険はすべてもらいました。その後もすぐには就職する気になれず、旅行に出かけることにしました。
 最初は東北だけの予定でしたが、北海道まで行き、北海道一周してしまいました。
 この旅行でいろいろ自信が付きました。
 帰ってきてからすぐに就職活動です。
 職安で見つけた数軒を訪問しましたが、気に入るものが無く、就職情報誌で見つけた○○○○技研に決めました。

■○○○○技研
 いままでは、コンピュータと言うより電気機器という色が強かったのですが、この会社は、コンピュータ関係で、いわゆるソフトハウスでした。
 イメージ的にスーツを着て作業する感じでした。
 なかにはジーパンの人もいましたが....
 大企業と直接取引をしているので、技術的には高かったです。その反面残業が多く、年に数回徹夜がありました。
 それなりに満足できる会社でしたが、ある社員の退職問題で、社長への不満が高まり、退職することになりした。



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